ホーム » 観光情報 » 八幡平の歴史 » 再生可能エネルギーの先駆者
1950年代初頭、松川の地域活性化を目指して、市政指導者や旅館経営者たちは温泉リゾートとしての魅力を高める方法を模索していました。そこで、近隣の松尾鉱山から地質調査チームを招き、町の宿泊施設拡充を支える新たな温泉を見つけるため、試験掘削を行いました。
しかし、掘削のたびに湧き出たのは熱い水ではなく、勢いよく噴き出す蒸気でした。3年間で3つの大規模な蒸気間欠泉が発見され、調査費用は膨らむ一方。失敗が続く中、1956年の7回目の掘削でようやく十分な温泉が得られ、新たに最大40人を収容できる中規模の温泉旅館が開業しました。この旅館では地熱蒸気を暖房に利用し、照明は灯油とガスを使っていました。
同年の夏、八幡平が国立公園に指定されたことを機に、旅館のオーナーは電気照明の導入を決意。その手段として蒸気を使った発電を思いつきました。この発想が、松川での地熱エネルギー生産の始まりとなったのです。
10年に及ぶ研究と最先端の建設を経て、松川地熱発電所は初期容量9,500キロワットで運転を開始しました。その後、新たな生産井戸の追加や1993年の最新タービン導入により、発電容量は147%増加し、2019年時点では23,500キロワットに達しています。現在、10本の井戸から得られる地熱蒸気は、八幡平地域の施設や住民にクリーンで安定した電力を供給しています。
さらに、発電プロセスで蒸気から除去された硫化水素やその他の化学物質は再利用されています。これにより、温水が生成され、地元の温泉施設の調理用や農業協同組合の温室暖房に活用されています。このように松川地熱発電所は、地域社会と密接に連携し、持続可能なエネルギー利用を推進しています。
2016年には、日本の地熱発電のパイオニアとしての役割が評価され、日本機械学会から「機械遺産」に認定されました。この受賞は、松川地熱発電所の歴史的・技術的価値を象徴するものです。
1966年 9,500 kWの容量で運用開始
1968年 容量を20,000 kWに増加
1973年 容量を22,000 kWに増加
1993年 タービンを更新し、容量を23,600 kWに増加
1994年 松川地熱ホールを開設
2005年 雫石町からの遠隔監視を開始
2016年 日本機械学会により「機械遺産」のサイトに指定
運営50周年を迎えました
地熱発電はその名の通り、「地熱」と「水」を利用した発電方法です。八幡平の火山帯は、これらの要素が豊富に存在する地形であり、地熱エネルギーの利用に最適な環境を提供しています。(2019年11月時点で、東北地方には7つの地熱発電所が稼働しており、日本全体の地熱発電出力の約50%を占めています。)マグマが地表近くに上昇すると、地下の断層や破砕帯に溜まった水、多孔質の岩石に閉じ込められた水が加熱されます。これらの地熱貯留層にアクセスするために井戸を掘削し、得られた蒸気や熱水をパイプで導き、タービンを回して電力を生産します。
松川地熱発電所は、日本唯一の「乾式蒸気方式」を採用しているのが特徴です。この方式では、地下から直接取り出した高温の蒸気をタービンに送り込み、発電機を駆動します。乾式蒸気方式は、以下の点で特異性があります。