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再生可能エネルギーの先駆者

松川地熱発電所

岩手県の十和田八幡平国立公園内に位置する松川地熱発電所は、日本で最初に商用運転を開始した地熱発電所でした。それは1966年のことで、この画期的な施設は今日も国内最大のクリーンで再生可能なエネルギーの生産者の一つとして活動を続けています。発電所は五十年以上にわたり、地熱開発と地熱発電の安全で安定した供給に関する豊富な専門知識を蓄積してきました。これがどのようにして実現したのかは、偶然の発見の「力」についての話でもあります:松川の豊富な蒸気貯蔵庫を最初に見つけた調査員たちは、実際には別のものを探していました。

1950年代初頭、松川の市政指導者や旅館経営者たちは、温泉リゾートとしての地域の魅力を広げる方法を模索していました。近くの松尾鉱山から地質調査チームが呼ばれ、町の宿泊施設の拡大を支える新たな温泉を探査するための試験掘削が行われました。しかし、エンジニアたちは熱い水ではなく、急速に蒸気が噴出することを繰り返し見つけてしまいました。3年間で3つの巨大な蒸気間欠泉が見つかりました。これらの潜在的な調査の運営費は、各回の探査が失敗と判断されるたびに増え続けました。最終的に、1956年の7回目の掘削で十分な温泉が得られ、最大40人の宿泊客を受け入れる新たな中規模の温泉旅館の開業が可能となりました。地熱蒸気が室内の暖房を供給し、ランプは灯油とガスに依存していました。八幡平がその夏に国立公園に指定されたとき、所有者は電気照明を導入することを決定し、それを達成するために蒸気駆動発電を思いつきました。この出来事は、事実上、松川での地熱エネルギー生産の始まりでした。

松川の安定したパフォーマンス

研究10年および最先端の建設後、松川地熱発電所は初期容量9,500キロワットで運用を開始しました。新たな生産井戸の追加、続いて1993年に最新のタービンの導入により、その容量は147%増加し、現在(2019年)の出力23,500キロワットに達しました。10の井戸から八幡平の施設や住民にクリーンで信頼性のある電気を提供するだけでなく、この発電所は、天然に含まれる硫化水素や他の化学物質を蒸気から洗浄し、それを地元の温泉施設のキッチン用や、農業協同組合の温室暖房用に送る温水に変換します。2016年には、松川地熱発電所は、地熱力発展の先駆けとなった役割により、日本機械学会から「機械遺産」の地位を授与されました。

冷却塔の建設(写真:東北環境再生エネルギー株式会社)
1966年の最初の商用地熱発電所

松川地熱発電所:半世紀の歴史

左:発電建物、右:冷却塔 (写真:東北自然エネルギー株式会社)

ハイドロサーマルエネルギーの仕組み

その名が示す通り、地熱発電は水と熱に関するもので、八幡平の火山帯にはこれらが豊富に存在します。 (2019年11月現在、東北地方には地熱発電所が7箇所あり、日本全体の出力の約50%を占めています。)マグマが地表近くに来ると、地下の断層線を流れる地下水や、破砕面に溜まった水、多孔性の岩石に閉じ込められた水を加熱します。これらの貯水池は、蒸気と熱水を捕らえるために掘削され、その後、タービンを駆動して電力を生成するために配管されます。

松川は日本の地熱発電所の中で唯一の「乾式蒸気」施設であり、地下の源から直接熱い蒸気をタービンに送り込み、発電機を駆動します。他の発電所では、フラッシュまたはバイナリーサイクルを使用し、これには地熱流体を蒸気に変換したり、適度な温度の水を蒸発させるといった追加の手順が必要です。より単純なプロセスである松川の直接乾式蒸気技術は、地熱変換の最古のタイプで、1904年にイタリアのラルデレロで初めて実験的に開発・使用されました。

1966年 9,500 kWの容量で運用開始

1968年 容量を20,000 kWに増加

1973年 容量を22,000 kWに増加

1993年 タービンを更新し、容量を23,600 kWに増加

1994年 松川地熱ホールを開設

2005年 雫石町からの遠隔監視を開始

2016年 日本機械学会により「機械遺産」のサイトに指定

運営50周年を迎えました

産業地熱エネルギーの利用がイタリアのラルデレロで200年を迎えます